2019/2/5
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海外レポート |
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恵子の現地レポート 現在、さとう恵子議員はアメリカ在住のご家族の方が体調を崩されている為に、そのお見舞いと、お孫さんのお母さん代役の為にテキサス州に行っていられます。アメリカからのインターナショナルな現地リポートをお願いしておりましたが、その第一報が届きましたのでご報告いたします。 おはようございます。 1、 逗子市は本当に便利な場所であると、実感しました。 JR逗子駅→成田空港駅 直行 2時間33分 成田空港は中国の旧正月に当たるので中国人が多かったです。また、飛行機は満席。空港内は中国人が多かったのですが、アメリカ行きはアメリカ人の方が多い様でした。 2、成田空港からダラス空港までの行きのフライト時間は 11時間35分 時差8時間。 日本でも、アメリカでも動物性の食品などの持ち込みは厳しくなった。 3、ダラス空港は私は初めてであった。ロサンゼルス空港より大きく、国内線に行くのにモノレールで行く。国際線から国内線へのモノレールでの所要時間は、浜松町駅から第2ターミナルぐらいある。ダラス空港DUTY FREE のショップはアジア圏には劣るが、輝きがある。ダラス空港でマサチューセッツに行く人と話をしたら、何とマサチューセッツはー25度という。寒すぎて大変だ・・・と。南に行く私は羨ましがられた。 6 エル パソの道路は幅広く、真っ直ぐ、日本の高速道路の様である。 ( 事務局 ) 日本でも終戦の焼け野原の中、将来の展望を先見し、名古屋城の近くの一般道路の道幅は100メートル、片側4車線の広い道路があるが、狭い日本国土、混乱した戦後であったからこそできた政策で、今では立ち退きを命じられた住民の反対運動で、殆どできない政策であろう。( 事務局 ) 7 ・8 エルパソはアメリカ合衆国 テキサス州 エルパソ郡 エルパソ市 人口 649、221人 この地の歴史は古く、10、000年前にはネイティブ・アメリカンが住み着き、12世紀中盤には農耕も行われていたと考えられている。やがて16世紀に入るとスペインにの入植が始まり、1680年にはスペイン人によってイズレタ伝道所が建てられた。南北戦争の終結後には、エルパソに相次いで鉄道が開通し、鉱業をはじめとする産業が発展し、人口が急増した。1930年代には世界恐慌の打撃を受けて人口が減少したものの、第2次世界大戦中およびその後の軍拡、および近郊での油田の発見によって、20世紀中盤に入ると再び成長した。今日では、エルパソはメキシコとの貿易の一大拠点として、またテキサス州西部およびニューメキシコ州南部の広い範囲にわたる地域の経済・医療・交通・教育・文化の中心地として発展を遂げている。 4、住宅街 5、近くの公園。驚いたことに土ではなく、木を細かく安全に砕いたもの。クッション性が有り、転んでも大丈夫。裸足で遊ぶ子供達。気温も、昼間だと20度ぐらい。半袖で遊んでいる子もいました。 ( 写真 ) 以上 レポートは続きますので、乞うご期待。日本は寒いので、お風邪など引かぬ様、お身体お大切にしてくださいね! 佐藤恵子
( 事務局 ) このホームページも国際的な内容になってきました。ホームページが発展してきたことに喜びを感じています。 佐藤議員から多くの写真を送っていただきました。その時の写真が以下のショートカットから見ることができます。
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