2019/2/9

ちょっと一息

 
事務局のつぶやき
 
  事務局広報担当と言う立場もあり、今回はその取材も兼ねて逗子池子の石切り場に行ってきた。京急神武寺駅を出て正面に見える県道205号線、通称金沢逗子道路を横浜方面に500メートル程歩き、二つ目の信号を右に曲がって鷹取山登山口を逗子中学校の校庭に沿って300メートル程進んで行くと、特養ホーム「せせらぎ荘」の入り口が見えてくる。その脇にあるのが神武寺に至る裏参道である。その裏参道をフェンス沿いに30メートル程進んで行くと、「せせらぎ荘」の裏庭に入る通用門が出てくる。其処を入って駐車場の中を通り抜け鬱蒼と生い茂る高木の林の中を進んで行くと、目の前に横幅が30メートル、奥行きが5メートル、高さが10メートル程であろうか、苔むした凝灰岩の崖に切り開かれた洞穴が現れた。
 
 凝灰岩は明治から昭和初期にかけて建設資材として切り出されていたが、関東大震災の混乱を経て凝灰岩に代わる新しい建設資材が出現してきたために、鷹取山石切り場と同じように廃れてきてしまった。その薄暗い洞穴の中に入ってみると、目が慣れるまでの僅かな時間、殆ど何も見えない世界が広がった。やがて次第に目が慣れてくると、岩の壁に無数に打ち込まれたノミの規則的な溝が全体を覆う、美しい幾何学模様が浮かび上がって来た。洞穴内は角ばった立方体の空間ができていて、内部は3か所の大きな切り出し口から入ってくる光によってある程度の明るさが保たれている。興味津々内部を見回していると、正面の壁に、「ふり向けば うしろにも居り みちおしえ 知迪」と、達筆の文字で彫られていた。
 
 ウィキペディアによれば、みちおしえ、は、正式にはハンミョウと呼ばれる体長2センチほどの甲虫である。ハンミョウは日当たりが良く、湿っている場所に生息する都市部でも見られる昆虫である。みちおしえと言われる所以は、人が近付いて行くと飛んで行ってしまうが、すぐ目の前に下りて後方を振り向いてはまた逃げる。それを繰り返すので、まるで道案内をしているように見えるため、みちおしえと呼ばれるようになったと言われている。
 
 その当時、美しい砂浜が広がっていた逗子は著名人たちの別荘地として名を馳せていたが、葉山御用邸落成に伴う行幸道路が造成されても一般の人達には漁業の他に大きな産業もなかった。その逗子の、現在の礎を築いてくれた多くの石工(石切り職人)たちは、家族を遠い故郷に残したまま此処に来て職を得ていたのであろう。毎日の重労働にふと懐かしい家族のことを想い出し、この壁に刻んだ言葉が言霊(ことだま)となって、何時しか故郷に帰れることを夢見ていたのではないだろうか。乱暴な言葉で強がりを言っている屈強な男たちも、やはり心の芯は弱い人間であったのかも知れない。その石工たちがふと後ろを振り向いた時、彼らの眼にそのハンミョウが、彼らの家族や、この危険な作業場で命を落とした同僚の面影が二重写しに見えていたのかも知れない。日本中がまだ貧しかった頃、故郷を思い、涙を流しながら岩を彫る石工たちの姿が目に浮かぶ。現在の繁栄した逗子の街を目の当たりにする度に、このような先人たちに手を合わせて感謝せずにはいられない。

 今は草ぼうぼうで殆ど人の手が入っているようには思われなかったが、そんな昔を偲ぶ、大切な逗子の遺産が此処にもあった。

  写真は下のショートカットから見ることができます。往時の石工たちの心を偲んでいただければ幸甚である。
 
                                              ( 事務局 )