2019/3/12

春の訪れがもたらしてくれたもの

 
( 事務局のつぶやき )

 昨日の昼には長崎の西にあった低気圧と種子島の東にあった低気圧の、所謂二つ玉低気圧が東進するにつれて一つに合体して勢力を増し、本日未明には関東地方に雨を伴った暴風が吹き荒れ、やや北上しながら東北地方の太平洋側を通過して行った。この二つ玉低気圧は過去に冬山登山で何度も大量遭難をもたらしたことのある不吉な使者である。その原因は疑似晴天の所為だ。それは一つ目の低気圧が通過すると一時的に天候が回復する。そうなると登山者は天候が回復したと思って行動を開始する。だがその数時間後、一つ目の低気圧よりも更に悪天候をもたらす二つ目の低気圧が襲ってきて全く視界が効かなくなり、何日も吹雪に見舞われることがある。そんな最悪の天候を突いて行動すると、ホワイトアウトになって方向感覚がなくなり深い谷に迷い込んで遭難する危険性が極めて高くなってしまう。そんな二つ玉低気圧が東海地方で一つに合体し、発達した低気圧となって早朝の内に関東地方を通り抜け、昼ごろには春のような温かい空気を運んできた。暖かい空気に誘われて今日も大崎公園に出掛けて来た。

 ここ10日間ほど、色々な野暮用があったり天候が悪かったりで久しぶりの大崎公園であった。何時ものように海沿いのルートを辿って公園に行ってみれば、丘の上にある桜の木は何時の間にか花が落ちて黄緑色の葉桜になっていた。人間の都合に左右されず、其処には確実に春の訪れが忍び寄っていた。それにしても日本の春はじわりじわりとやってくる。だが以前私がモスクワに住んでいた時、春はある日突然にやって来た。それまで街路樹の枝は寒さにじっと耐え、まるで凍り付いてしまったように冷たい風にもなびかなかった。だが5月に入った途端、つぼみと言うつぼみが一斉に割れ始めたのだ。街の中は日に日に緑が多くなり、三日四日もすれば全ての街路樹の葉と言う葉が全開してしまった。その木々の生命力には驚愕させられた。その木々の緑が人々を外に誘い出し、俄かに町全体に活気が帯びてきた。日本では5月1日は働く人の祭典である。だが、モスクワでは春の訪れを祝う祭典、人々の気持ちを開放的にさせてくれる春の訪れを知らせる祭典であったのだ。誰かが号令を出す訳でもないのに、植物たちは自分たちの暦を持ち、毎年殆ど同じ日につぼみを開く。自然の摂理に従って確実に時を数え、そして着実に成長を繰り返す。
 
 だが人間は決してそのように決まりきった暦通りに育ってはくれない。勉強すればすぐに理解できる人もいれば、人一倍勉強してもなかなか覚えることもできない人もいる。その後者となる人に手を差し伸べるのが親であり、そして教育者である。もうかなり以前のことになるが、私がまだ前職にあった頃、ある国家資格の国家試験官であった時に、訓練生を指導している教官がふと呟いた「今回の訓練生は手応えがなく、訓練のし甲斐がないな」その言葉が私の耳に突き刺さった。私は早速、訓練教官全員の人たちにメールを送った。それはこんな内容だったと記憶している。貴方たち教官の仕事は天文学者に似ている。真っ暗な空の何処にあるかも分からない暗闇の中から小さな、小さな新しい星を見付ける。それは今まで誰にも気付かれなかったかも知れないが、小さくても輝いている星だ。その名もない小さな微かな星を人々に知らしめ、そしてアピールしていく。それは訓練生にも同じことが言える。人は誰でも、誰にも負けない程の輝きを持っている所がある筈だ。それは本人も気付いていないのかも知れない、その埋もれた長所を見付け出し、そしてそれを磨き上げて輝きを増してあげる、それが貴方たち指導者である。何と遣り甲斐のある仕事ではないか、もっと自分たちの仕事に自信を持とうよ。・・・確かそんな内容であったと記憶している。
 
 いま日本中は児童の虐待、いじめが大きな社会問題になっている。若い親御さんたちは子供の育児、教育に迷いを感じている所為ではないだろうか。子供が自分の思い通りにならない時は怒りとなって子供にぶつける。そうなってくるともう躾や教育ではない、単なる抑えきれなくなった怒りのはけ口だ。子供を育てるには叱ることは欠かせない。叱るとは、口が化けると書くように、心の中は深い愛情があり、子供の成長を願って敢えて厳しい言葉で指導する。叱ると怒るとでは発し手の心に大きな違いがある。それを如実に表しているのが、親と言う文字である。親と言う文字は木の上に立って見ると書くように、子供を自分の意に添うように力強く牽引するのではなく、子供が独り立ちできるように遠くから見守り、そして後押しする、それが先人たちの教育感であったろう。我が子が故郷から旅立って離れて行く姿を親が木によじ登って何時までも見送っている、そんな昔の人たちの親心が偲ばれる。
 
 子供は神様からの授かりものだと言われている。だが本当にそうなのであろうか、子供は親を選べない、子供は決して親だけのものではない筈だ。子供は授かりものではなく、一時的に神様から預かっているものなのではないだろうか。子供との楽しい時間を与えてくれた神様に感謝しながら、立派に育った子供を神さまの元に返す。それが子供を通して、親に神さまが与えてくれた至福の時間ではなかっただろうか。そして親が再び神さまの元に召される時、「良い人生だった、ありがとうね」そう子供に伝えられるような親になりたいと思っている。

 そんな私の理想とする親御さんが私の近くに存在していた。是非皆さんにも聞いて欲しい立派な教育観を持った人が、私たちが住む逗子の街にいたのだ。そのお子さんのホームページ(http://ritmo-miyata.com/)によれば、幼児期に自閉症・発達障害と診断され、幼稚園や小学校になじめず、国立小児病院等へ通いカウンセリング受けながら幼児期を過ごされたそうであった。だがご両親はお子さんに無理に親の考えを押し付けるのではなく、お子さんを良く観察し、子供の長所を伸ばすことによって子供を立派に成長させることができたのである。まだご本人の許可を得ていないので詳細は明らかにすることは出来ないが、そのお子さんのホームページを見て親御さんの人柄を偲んで頂ければ幸甚である。できれば、何時かは子供の教育に悩んでいる親御さんたちの前で、その苦労話を聞く機会を作りたいと思っている。

( 事務局 )

春の訪れ">  春の訪れ