2019/3/25

ご提案に対する事務局からの返礼

 
 事務局からの返礼

 つい先日、ホームページ上のブログがアップされるのを心待ちにし、楽しく読んでくださっていると言う方からご提案と励ましのメールを頂いた。ホームページを作成している者として本当にありがたく、また励みにもなる。だが、さとう恵子市議会議員を支える身として黒子に徹しなければならない、本当は、私は前面に出てはならない立場だ。私が考えていたブログページは、さとう市議が日々の政治活動を通して感じたことを日記のように認め、そして広く市民にさとう市議が考えていることを知らせるようなツールにしたいと考えていた。だがフェイスブックでもお分かりのように、日々分単位で行動され、ホームページ上に投稿する時間が取れないのだ。当初はさとう市議が投稿できない谷間を埋めるつもりでホームページ上にアップしていたが、北穂高岳から槍ヶ岳に向かう大キレットのように、目の前が深い谷間だらけになってしまった。かと言って、さとう市議から寄稿されるのをただじっと待っていたのではホームページは活気を失い、読者から見向きもされなくなってしまう。しかもまだホームページを立ち上げたばかりである。だからホームページの読者を獲得するために敢えて自分が前面に出て、読んで頂ける人達の興味を引く内容を目指しているのだ。

 どんなに立派な美しいホームページであったとしても、堅苦しい法律のような内容ばかりでは読者は端から読んではくれない。書かれている記事は読み手の心に感動を与えるものでなければ、直ぐにホームページは閉じられてしまう。他人に感動を与える記事って、一体どうすれば書けるのだろう。大学教授の理論尽くめの論文のようなものでは読み手は食いついて来てはくれない。かと言って、マスコミが書くような、読者受けするような、ちょっと良い話的な浮ついた内容ではすぐに飽きられてしまう。何れにしても、頭の中で空想した絵空事では読者に対して説得力に欠ける。やはり相手の心に訴えることができるのは、自分が経験してきたこと、それに身近なことを関連付けて書いた方が読者の心を掴むことができるのではないか、そう考え、私が今まで経験した中から、記憶に残っていることを想い出しながら身近な話題を載せるようにした。

 本来であれば、お問い合わせのメールが入った場合は、さとう恵子自身が責任をもってお答えするのが筋である。だから、さくら会規約でも間接的にそのようにしっかりと明記させて頂いた。しかし今回戴いたご提案は、私の、事務局の担当内容であり、直接私が考えていることをお伝えした方が、時間を割いてわざわざ投稿して下さった人に誠意が伝わるのではないか、そう思って直接お答えすることにした。

 ホームページを作成するに当って様々なシチュエーションにも対応できるようにと作成したつもりであったが、今回のように連絡先が分からず直接お答えすることができないような場合はどうするのか、そこまでは考えてはいなかった。フェイスブックのようにホームページ上で互いに意見を交わすことができないものかサーバーに問い合わせたが、おいそれとできるような問題ではなかった。だから私がブログと言うツールを使ってお答えするしか方法がなかった。読者様から頂いたご提案は、今後しっかりとフォローしてまいります。

 組織と言うものは独りで何から何まで遣ってはいけない。常にバックアップ体制を構築しておかなければならない。担当者がいなくなったら何もできなくなってしまうからだ。だから必ず後継者を育てておかなければならない。私の出番もそろそろ終わりにした方が良いのではないか、組織として後継者を育てるために、そろそろ身を引く時期が近付いて来ているのかも知れない。さくら会の規約だってそうだ。担当者の業務分掌を明確にし、互いに確認しながら運営してゆく、それが本来の組織の在り方である。その為にも、自分の知っていることを後生大事に隠しておくのではなく、次の人の役に立つように公開しなければ何にもならない。
 
 私が今まで生きてきて苦悩したこと、辛かったことは数え切れない。私が苦悩すると言うことは、誰もが悩むと言うことである。苦しみは、先が読めない不安が渦巻いているからだ。辛くても、明確な目標が見えれば苦しみが希望に変わる。そして活力が生まれ、人は成長してゆく。若い人が苦悩している時にアドバイスできるのは、同じ苦しみを経験した先達だ。だから私は自分の人生で悩み苦しんだこと、そしてその向こうには何があったのかを文章に認め、私の子供や孫が同じ苦しみに耐えている時に、その道標になるような水先案内人になりたいと思っている。私の歩んだ人生、他の人の礎になって貰えれば生きて来た甲斐があったと言うものである。私は幾度か人生に挫折したことがあった。だが其処から這い上がって現在の自分がある。その挫折や失敗を自分だけのものだけにせず、他人の礎になるのであれば、それは決して失敗ではなかった、そう言えるのではないだろうか。
 
 人を感動させるのは易しいことではない。感動とは、潜在意識を揺り動かすことではないだろうか、ふとそんなことを考えたりする。私が山に登り、そして山頂でご来光を拝む時、自然と素直な気持ちになってくる。独りでに湧き出て来る涙が煩悩を洗い流してくれる時、自分と言うちっぽけな人間が、この広大な宇宙に中の、小さな、小さな歯車であるかのように、何かの役に立っているかのように思える微かな救いを心に呼び起こしてくれるのである。永遠に解き明かすことができないであろう、何故私がこの世に生を受けたのか、その手掛かりを掴んだような快い心境になってくるのだ。何十年も前に、初めて槍ヶ岳山頂でご来光を拝んだ時の感動は今でも忘れることができない。その時の感動を、心を一つにして感じていただければ幸甚である。

 幾つもの梯子と急登の鎖場を登り詰めると、やがて山頂直下の切り立った岩壁にほぼ垂直に立てられた、高さ十メートルは優にあろう鉄製の長い梯子が私を待ち構えていた。大きく息を吸い込み、冷たい梯子の桟に手を掛けた。一段、また一段、ゆっくりと梯子を登って行くと、何時の間にか梯子の桟を握る手に汗が滲んでいた。やがてじわりじわりと山頂がせり上がってきた。そして最後の桟を握った手で力一杯身体を引き上げると、地球の天窓からニョッキリと頭を出した。

 其処には視界を遮るものが何一つない空間に、微かに白み始めた東の空が一面に広がっていた。上空にはまだキラキラと瞬く明るい星が幾つも取り残されたまま、その背後に夜明けを知らせる飛脚が東の彼方から秘かに忍び寄っていた。そして山頂に突き出た梯子の枠につかまって最後の一歩を岩の上に踏み出すと、日本国内5番目の高さを誇る、標高3,180メートルの槍ヶ岳の山頂に到達した。

 細長いゴツゴツとした山頂の北側に祀ってある祠から、優に2,30人ほどは居るであろう人たちが横一列に並び、微かに白み始めたばかりの東の空を食い入るように見つめている。こんなに大勢の人達がいるのに誰一人としてお喋りする人はいない、ピーンと張り詰めた緊張感が漂っている。私は其処にいる人たちや祠の中に祀られているご神体に一礼すると、その列の端にそっと腰を下ろした。ふと足下に目を遣れば、ゴツゴツとした岩稜がややオーバーハング気味に、数百メートルはあろう遥か眼下に広がる間の沢に切れ落ちている。しかもその沢筋に沿って、真っ白な雪渓が太い帯となって北鎌尾根の裾野の彼方に解け込んでいる。

 04時53分、東の空が俄かに騒がしくなり、広大なスケールのステージに一筋の閃光が走った。すると辺りから一斉にどよめきが沸き起こり、東の地平線からゆっくりと朝陽が現れ始めた。主役の登場を今か今かと待ち侘びていた観客は朝陽に顔を赤らめ、目を細めて溢れ出る涙を拭おうともせずステージの中央にうっとりと見入っている。やがてすっかりと明るさを増した舞台に、今日と言う立役者がせり舞台に乗って下から姿を現した。そしてこの地球上で、宇宙の時の流れと言うドラマをゆっくりと演じ始めたのである。

 ところが広大なステージで華やかなドラマが繰り広げられていると言うのに、此処で見ていた人たちは夢から覚めたようにゆっくりと立ち上がり、輝かしいステージに背を向けてその場から立ち去って行くではないか。愚かなことに、彼らはステージの華やかさだけを見るためにわざわざ此処にやって来たのだ。しかしだからと言って失望するには及ばない。真新しいドラマは、人間一人ひとりの心の中で、今度は自分が主役となり、人生と言う一度きりで筋書きのない一世一代の大芝居を演ずるのである。そして誰しもがこの荘厳な宇宙の流れを目の当たりにし、素直な気持ちで自分の人生を振り返り、更生し、そして新たな主役を演じようとするのだ。ご来光は此処で見ている人々の心を、子供の様に鋭敏で清らかな気持ちに変えてくれるのである。

 しかしそれにしても、かつてこのような素晴らしい晴れ渡った夜明けを見たことがあっただろうか。私が山に登ると何時も必ずと言って良いほど分厚い雲に覆われていた。だから山仲間は私のことを憚ることなく、雨男と揶揄していた。だが今はどうだ、山間の所々の地表に微かに朝靄が漂っているものの、地平線から頭上に掛けて、赤、黄、白、青、そして紫色に色彩を変えている鮮やかな空には一点の濁りもない。此処から遥か彼方の地平線までクッキリと見渡すことができるではないか。

 その真っ赤な朝陽に細めた目を僅かにずらせば、大きな波が押し寄せるように真一文字に横に並んだ大天井岳、常念岳、蝶ヶ岳、そして大滝山、それらの山稜が前方でスクラムを組み、そしてその彼方には薄らと漂う靄の上に蓼科山と八ヶ岳の峰々、しかも遥か隔てた朝靄の地平線上には、決して見紛うことのない山容の富士山や南アルプス連峰さえもクッキリと見渡すことができる。

 そして眼の焦点を僅かに引き戻せば、一際重量感のあるピラミダルな山容の常念岳の手前に西岳、しかもその稜線上に赤い屋根のヒュッテ西岳をも微かに見ることができる。更に其処から、その両側が鋭く切れ落ちた東鎌尾根がこの槍の穂先目掛けて一気に駆け上り、しかもそのピークにヒュッテ大槍や足下直下の殺生ヒュッテがそれらの岩稜に真っ赤な血痕を残し、闇の悪霊を追い払った槍の穂先が天を向いたまま、今にも斬りかかって来るかのように上段の構えで待ち構えている。その大迫力に圧倒され、私はその場に釘付けになったまま身動き一つできない、自然の驚異を肌で感じるひと時である。

 

                                             ( 事務局 )