2019/2/20

逗子の新しい街づくり

 逗子の新しい街づくり ( 事務局 )
 
 風雨を伴った前線が昨夜のうちに時速60キロでという速さで関東地方を通過し、今日は朝から雲一つない快晴、しかも春本番のような温かさ。日本付近の気圧配置図を見てみれば、寒冷前線が日本の遥か東へ移動し、別の低気圧が秋田沖に東進してきた。その低気圧に左巻きに吹き込む暖かい南寄りの風が、関東地方に春本番のような気候をもたらしている。そうと分かればこうしてはいられない、カメラ片手に逗子海岸を通り抜けて大崎公園に向かった。だが大崎公園に行ってみれば、案の定富士山は霞んで全く見えない。そればかりか、江の島さえも真っ白な春霞のベールに覆われている。これでは自分の記憶に残す写真は撮れても、他人に見せる写真は撮れない。
 
 だがもう一つ困ったことがあった。それはくしゃみが連発してなかなか止まらないことだ。隣の悪ガキがコショウを撒き散らかしているのではないか、そう思って辺りを見回しても、私の他には誰もいない。そうだ、とうとう杉の花粉が舞う季節が始まったのだ。これからしばらくの間、辛い日々が続く。だがそれにしても、鈍感な私が花粉症に掛かってしまった原因はハッキリしている。それまで何の症状も出ていなかったのに、あの年に突然発症してしまったのだ。それはおよそ20年前、私が鹿児島に転勤した時だった。その頃はまだ元気であったので、年に3、4回は九州圏内のロードバイクの自転車競技大会に出場していた。距離の長いもので言えば、熊本阿蘇の外輪山を4回も上ったり下りたりして7時間余り掛けて170キロメートル先のゴールを目指すものもあれば、公道を閉鎖してプロの選手と一緒になって50キロメートルの距離を走る本格的な高速レースもあった。そんなレースの為に自宅から霧島山の中腹にある、えびの高原まで走る上りのきついルートを休みのたびに練習していたのだ。以前霧島で天皇陛下の植樹祭があったことで、辺りの山々は見渡す限りに杉の木に覆われていた。しかも鹿児島には有力な政治家が多かったために、農道さえも奇麗に舗装され、いつ行っても隅々まで綺麗に手入れがなされていた。そんな訳でロードバイクの練習にはこの上ない環境が整っていた。だが春先になると駐車している車が真っ黄色になる程に花粉が降ってくる。そんな杉花粉が舞う中を、大きな口を開け苦しみもがきながら練習しなければならない、花粉症にならない方がおかしい。
 
 日本国内に留まらず海外を含めて様々な都市で仕事をしたり其処で生活をしてきたが、個人的には鹿児島が一番暮らし易かった。それは其処に住んでいた人たちの人間性が良かったからだ。鹿児島は歴史的にみると閉鎖的な民族が住む地域で、江戸時代は隣村との争いが絶えなかった。だから必然的に敵味方を識別するために村ごとに言語が違っていた。だから隣村に行くと相手が何を言っているのか理解できなかった、そんな騒乱の時代であったらしい。薩摩藩も、そして島津藩もその中の一つであった。そんな閉鎖的な所に転勤したが、現在は昔とは大きく変わっていた。他所から来た私が一週間も生活すると、それまで口も利いてくれなかった人が、まるで家族のように扱ってくれるようになった。そしてそれから親しい付き合いが始まり、生涯縁の切れない悪友もできた。鹿児島を離れて20年近くにもなるが、今でも年に一度は鹿児島に帰って旧交を確かめ合っている。こんな歳になっても心を寄せてくれる友達がいるのはありがたい。
 
 だが大都会以外の地域は何処でも同じように、鹿児島でさえも街が廃れてきている。彼らは半ばあきらめたように言う、「鹿児島は何にもないですけん・・・」 だが其処に住んでいない私から見れば、鹿児島には羨ましい程の観光資源がある。日本で最も活発な活火山の桜島を中心に30キロ四方に韓国岳、高千穂峰、開聞岳の名だたる山々があり、それらの麓では無尽蔵に温泉が湧き出ている。しかも桜島を取り囲むように、資源豊富な鹿児島湾があり、外洋に出れば太平洋と東シナ海に囲まれていて漁業も盛んだ。しかも薩摩藩を率いた西郷隆盛も歴史的に重要な偉人である。そんな歴史もある恵まれた地域にありながら、彼らはその良さに気付いていない。人はその中に入ってしまうと何も見えなくなってしまう、所謂、井の中の蛙である。
 
 私も仕事柄、世界中、あるいは日本国内のあちこちに行って、あるいはそこで生活したこともあった。海外から日本、あるいは国内から逗子を見た場合、其処を離れてみて初めて故郷の良さが分かったこともあった。逗子から出て他所で暮らしたことのない人は、本当の逗子の良さに気付いていないのかも知れない。昔から著名人にこよなく愛された水辺もあればまだ自然が残されている故郷の山もある。歴史ある神社仏閣もあれば悠久の年を経た史跡もある。暖かい気候もあれば得も言われぬ美しい眺望もある。もしそれだけではまだ足りないと言うのであれば、いっそのこと私たちで作れば良いではないか。そうだ、新しい何かを作ってみよう。お金なんか要らない、気持ちさえあればできることってあるような気がする。そうだ、「人の心」 を創ろうじゃないか。相手を思いやる温かい心、礼儀正しい気品、気配りのできる優しさ、そして笑顔、これを新たな逗子ブランドにしようじゃあないか、誰もが羨む逗子の街創りを・・・。それには先ず、一人でもできる挨拶することから始めよう。そうだ、そう言えばまだ家内に挨拶していなかった。今すぐ言ってこよう 「おやすみ!」 って・・・。                                         
 
 春霞に霞んだ大崎公園からの眺望を見ながら、間近に迫った春を偲んで頂ければ幸甚である。
 
                                               ( 事務局 )